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とりとめのないこと

沼落ちブログ〜振り返るハイライト〜

初めに

これは、2年と少し前に沼落ちした私が当時から現在(2022.8.14)まで振り返りながら書いたものです。

 

 

 

 

 異様に早い梅雨明けだった。梅雨に入る前から8月並の気温を叩き出した6月。セクシーゾーン 2022ライブツアー ザ・アリーナは北海道から幕を開けた。真駒内セキスイハイムアイスアリーナは、スケートリンクだった施設で冷房設備がない。相当暑かったことが予想され、TLにもジャニオタたち各々の熱中症対策が共有された。まるで蝉だけが鳴いてない8月のようだった。うそみたいな暑さを経て、戻り梅雨かとニュースキャスターが報じた7月の頭、米どころ新潟でライブが2日間開催された。

 新潟4公演目となる2日目夜に参加した私はこの日、朝9時過ぎに自宅を出て在来線を2本、新幹を2本乗り継ぎ、片道5時間以上をかけてその地を踏んだ。予約時に知ったのだが片道600kmを越す新幹線利用は割引になるらしい。距離感に疎いが割引になるということはなかなかの移動なのだろう、ようやく新潟駅に到着したのは15時前だった。そのまま徒歩20分の道のりをバスで30分揺られ、降りて顔を上げるとときめきメッセいわく朱鷺メッセがそこにあった。ガイシホールを想像していた私は、ライブに似つかわしくないオフィスビルに似た外観のそれに、なるほど展示ルームや美術館も併設されているのだったなとひとり納得した。トイレの位置を調べるために内観の写真がたくさんある個人ブログを読んでいたので。

 昼公演終わりに形成されたタクシー列の横を通りすぎ、冷房の効いた室内に入ると、向かいに川が見えた。突き進み再び屋外へ出る。まだ早いからか人もまばらだった。水のそばとはいえ蒸し暑く、ペットボトルで水分補給した。駅で買った、名物らしいまいたけおにぎりを立ったままかっこむ。首にかけたアイスリングが気持ち良い。ひらけた視界の左に、橋がかかっているのが見えた。自主的にだれかのライブへ一人で行ったのは初めてだったし、近場である愛知県以外へライブに行ったのも初めてだ。2年前のライブドキュメンタリー映像でメンバーが「朱鷺メッセは隣に海があるんだよね」と言っていたのを思い出した。かわいい。川だよ。前日には担降りしたらどうしようとか、何一つ覚えていなかったらどうしようと抱いていた不安はなくなり、すでに高揚していた。おにぎりはおいしかった。
 Sexy Zoneに急転直下ハマって1年と11ヶ月、ようやく生のSexy Zoneに会う(正確にはSHOCKへは行ったので佐藤勝利くんは拝見していたし、この公演にマリウス葉くんは参加しないため今回会うのが初めてなのは3人)。コロナ禍といわれて2年と少し経つが、私が彼らにハマったのは一度目の緊急事態宣言が明けたものの世間はまだどんよりと暗雲が立ち込めたように経済の動きが鈍い夏の日だった。2020年8月2日、RUNの発売週だった。その頃の私は結婚を視野に入れて付き合いを始めた恋人がいたものの、自身の目論見の甘さに急激に人生がつまらなく思えて、このまま一生この絶望の中で生きていくのかと切なさや悲しさ諦めを抱えていた。長くない人生で、よくあるいじめっぽい何かを数度受けたり顔面に火傷を負ったりしたが、それらよりも落ち込みが酷かった。“お先真っ暗”とはこのことか、と思う色のない日々だった。加えて世間は緊急事態宣言は解けたものの暗く手探りのニュースが続き、息が詰まる毎日で日付感覚さえなかったのを覚えている。ただ毎日が過ぎてゆくくせに仕事へは行かなければならない。今思えば仕事で人と関わりがあったのは良いことだったが、その時はなにがエッセンシャルワーカーだよと車中何度吐き捨てたかわからない。たまの息抜きで、好きな百貨店へ行ってみても道ゆく人もまばらで休日の昼でさえ静かな町。上階は立入禁止となり、一階に寄せ集めされた臨時店舗。それぞれのブースが、声出し禁止の空気で呼び込みもできず本来の売場でないところにおさまってシンとしていた。この中で気づいたのだが、私は人混みが嫌いだ人の話し声が苦手だといいつつ、様々な人が無関心に行き交う色とりどりの道路が好きだし知らない人の知らない会話に耳を傾けるのも好きだった。

 核家族、もしくはそれ以下の単位で行動することをいやがおうでも強められた夏に、同じように参っていた妹が突発的にジャニーズのライブ映像を二本購入してきた。King&PrinceとSexyZoneだ。一応聞いておくかのテンションで問われた「観る?」に肯首したのさえ意外に思われたくらい、私はジャニーズに関心がなかった。アイドル界に人並み以下にしか触れておらず、テレビは暇ならNHKのニュースを流す家庭で育ったために、ケンティー中島健人Sexy Zone=ジャニーズ、という基礎中の基礎も繋がっていない状態だった。陰鬱な世間の空気を一瞬でも忘れたくて、休日前の夜から再生された2019年のPAGESの円盤。釘付けになった人がいた。後日わかるその人は菊池風磨くんなのだが、このときの私は、最初に登場したJrたちをSexy Zoneと誤認していたくらいなので菊池風磨くんが既に地上波で全裸にされていることなど知る由もない。ともかく衝撃的なライブだった。二度SMAPのライブに連れて行ってもらっており二度とも楽しんだが、エンターテイメントに全振りしたそれらとはまた種類が違っていた。PAGESで、ストーリー性のあるライブというものがあるのだと前のめりになった。

 日付を跨ぐ時間まで及んだ鑑賞会からふらふらとベットに寝転んでも頭の中はさっき観た映像が切れ切れに脳内を回っていた。気絶するように記憶が途切れ、朝、オタクはTwitterで検索をする。どうやらCDが明日発売されるらしいが今日手に入るらしい、との情報を手に入れ、家の近くで一番品揃えが良いだろう店舗へ車を走らせた。この時点で私は夏のせいだけではない汗をじっとりとかいており、とにかく胸がいっぱいで空腹なのか満腹なのかわからないし常に何かに急かされているような気がしていた。ちなみにこの症状は2週間ほど続く。店舗へ着いて棚を探し出すと、同じCDが何種類もあることに戸惑った。どれを買ったら良いのかわからないまま手に取った初回限定盤Bを駐車場で読み込む。CDを取り込む作業が久々すぎて、数年前のロドリーゴ・イ・ガブリエーラが入ったままだった。帰宅する頃にはすでに何度もRUNを聴いていたが、終わるまでエンジンを切れなかった。ジャニーズなのに歌が上手い……となぜか悔しかったのを覚えている。私自身とても音痴なのだが人の上手い下手にはほどほどに敏感で、声が苦手で聴けない楽曲もそこそこある中、彼らのユニゾンは綺麗で苦手にならなくて良かったと安堵したのも覚えている。
 初回限定盤Bには、特典映像なるものが同封されていた。よくわからないまま再生すると、DVD画質で4人がゆるく喋っていた。後に知るのだが、この場ですでに彼らはシティポップの方向へも行きたいと話し合っている。この方向性は2022年発売のアルバム『ザ・ハイライト』の支柱にもなっており、2020年発売のアルバム『POP×STEP?!』から土台のひとつとなっているのだがその時は、なんだか色々考えているんだなと流してしまった。メンバーの誕生日をおかしな祝い方をする人や、ビリビリゲームで盛り上がるメンバーに、なんだかこの人たちって案外普通の人なのかもという感想をもった。画面の中の彼らはライブと違って、等身大に生きているように見えた。もっと彼らを観たかったし、これからも応援したいと思った。今書いている出来事は2年前のことなのでどうやってどういう順番で情報にアクセスしたのか覚えていないのだが、それから私は何ヶ月かかけて過去のライブ円盤や過去のCDを買い漁ることになる。
 このときは2020年8月の上旬。ケンティー中島健人でジャニーズであること、SexyZoneであること、私が釘付けになった彼は菊池風磨ということ、高貴な顔立ちの彼はドイツ生まれのマリウス葉で、おそろしく童顔の彼は佐藤勝利ということ。ひとつひとつ知っていった私は最後のピースに行き着く。松島聡くん。どうやら今はお休み中で、メンバーカラーは緑であること。話は少し脱線するが私は数ヶ月職場を離れていたことがある。当時診断書もなくおそらくうつだろうと、併発していた別の病気で病休をもらった。今思うと適応障害の方に近いし、精神科への受診もなくうつだというのもおかしな話であるが、とにかく私にはお休みしていた時期があった。(一応別の病気での病休であったが、同僚はみんな私のことを心の病だと思っていた。)そして復帰している。今でこそ休養と復帰の体制が表面化して社会に浸透しているが、私の休養前や復帰当時は周りも慣れていなかった。先進的とはいいがたい職場環境のせいでもある。そんな経験もあるので休養に関しては、まあそういうこともあるよねまた戻ってきてくれるといいなぁ、と良くも悪くも軽く考えていた。最近の芸能界はお休みできるんだ、それは良いことだ、とも。

 深く考える前に訪れた8月12日。松島聡くんが復帰した日。どうやって知ったんだっだろうか。ニュースだったかツイッターのトレンドだったか。喜びが爆発したような声たちから、ふつふつと、復帰するということが本当なんだと実感していく。ファンクラブで第一報があったらしい、それは動画らしい、ファンクラブに入ると観れるらしい、とひとつひとつ手探りで情報を得ていった。今でこそ、なにをそんな常識を、そもそもファンクラブではなくファミリークラブだし、という感覚なのだが、私は嵐を全員言えないくらい何も知らなかった(誰がというのはいつも違っていて、指折り数えてもどうしてもいっぺんに5人思い出せなかった)。そういえば、休止すると報じられたとき同僚に誘われて嵐のファンクラブに入っているし、親戚のSMAPファンは入っていた。私もSexyZoneのファンクラブに入りたい。平日しか入金できないと思いこんでいたデジタル音痴は、必ずや次の有給でファンクラブに入ろうと決め、果たし、動画を観た。そこには、優しく美しい人たちの花園があった。目尻がさがりすぎて見えてないんじゃないかというほどニコニコした人、真っ直ぐ見つめて画面外の彼を迎えに行く人、始終照れてちらりと隣を見ては噛みしめる人、はつらつとした笑顔で名前を呼ぶ人。真ん中の、顔を真っ赤にして誰の目にも明らかなほど緊張しつつはっきり言い切った松島聡くん。URLに仕組まれたメッセージにも胸がじんわりとした。こんなあたたかい迎えられ方があるのか。自分のときとの違いに、良かった、と思った。あのときはいろんな情報を仕入れるのに必死で、ずっと応援してきた人たちに比べると感動は薄くなってしまう。でも確かに嬉しかった。休養からの復帰は、過去の私にとっては当たり前だったけど世間ではそういうわけじゃないとわかってはいたので。
 メディア露出を調べていくと、どうやらラジオもやっているらしい。ラジオを聴く習慣がないが彼らが出ているのなら調べるしかない。それからradikoに入り、どうやら会員制ブログがあるらしいというのでそこにも入った。普段は入会ページで数日迷って結局やめることもザラなのに、時間が勿体なく感じて彼らに関係するものをどんどんブックマークしていった。

 友人たちにはすぐに報告した。「ジャニーズにはまりました」と言うと、十余年付き合いのある子たちは、今年一番びっくりしたと笑ってくれた。YouTubeのスマイルアッププロジェクトも送った。リモート夜会。ある友人はそこからSnowManにはまり、インナーカラーをメンカラにして聖地巡礼をするようになった。今でもそうで、ジャニーズという話題が増えたので会うたびに喋り足りない。この夏は楽しくて楽しくて、夜な夜な寝不足で、睡眠時間が足りないのにずっと元気な自分が怖かった。食欲も異様にあった。
 秋に、5人でラジオがあった。ANNプレミアム。約4時間のラジオ放送。始まって2秒で面白かった。彼らの愛情深さの一部を感じた気がした。ずっと聴いて、あまりにも楽しくて、幸せの空気が可視化された気がして、終わってもじんわりと胸があたたかいもので満たされて、この気持ちをずっと忘れないと噛み締めた。一部分をリビングで聴いていたので、母が「仲の良いグループだね」と言ったのを覚えている。この頃の彼らは私には仲良くなりたくてそうなろうとしているように見えていたので、嬉しかった。グループに仲の良さは必須だとは思わないが、理解してくれる人が内側にいるのは心強いだろうと思う。何より彼らが沢山の人に愛されて欲しいという私の願いが、一番身近でも叶えられるのなら嬉しい。
 そしてその半月後に配信ライブが開催される。元々予定されていたライブツアーが感染症のために中止となり、その振替としての無観客ライブ配信ということだった。3days5公演のチケットを全て買い、職場へは休みますと、家族へはこの時間帯はテレビ占領しますとお願いして臨んだ。円盤では繰り返し観たけれど行ったことのない会場、初めての生配信。なにも予想がつかなかった。ただ楽しみで10月29日までを指折り数えた。テレビにインターネットを繋ぐ。時間が近づくと、誰もいないセットが映し出された。大きいSとZにさえ、こうやって略すんだと新鮮だった。そうして始まるオープニング。着崩してアレンジした着物に狐面、扇子、お祭り騒ぎにダンスするJr、くねくね動く大きなハリボテの龍。オタクの好きなものを詰め込んだそれは、絵面として圧倒的な力があった。ジャニーズで最初となる配信ライブへの切り替え発表だったと思う。ライブの様子を配信するのと、無観客で配信用のライブをするのとは違う。後日ドキュメンタリーやラジオで知ったことだが、セトリから作り直し暗転を作らないよう画面作りも考えたそうだ。そんなことまで叶えられて良いのかと思った。私は人の仕事に求める“当たり前”のハードルが高くて、店員さんが原因で通わなくなった店がたくさんある。こんな気難しい人間の我儘も叶えられてしまうのか。自我が強い故どうかと思う演出もあったが、ここで語るのはやめる。画面作りといえばお恥ずかしながらこのとき初めて、佐藤勝利さんってもしやお顔すごく整っているんじゃ……?と気づき始めた。というか、全員お顔整いすぎじゃないか?いやいやこれはライブ映像、カメラ映りがいいのは当たり前なのだ。他人に合わせたカメラでの不意のショットじゃない、自分たちに合わせたカメラの調整済みの映像なのだ。何かに抗いながら観たライブはしかし、終盤汗だくになってただのツアーTシャツを着た彼らも輝いていた。わかりました、SexyZoneは顔がいい。造形としてもそうだが、表情にいやらしさがない。剥きたての、無垢なたまごみたい……。でもこれは私が好きだから故のそういう、恋は盲目的なマジックだと思っていたし、今も思っている。嘘ですリアルで見てからは、現実はもっとやばいぞカメラ映り悪いな!とさえ思うときがある。それは置いておいて、この連続公演では大事な出来事があった。松島聡くんがステージに立っていた。数曲だったが、無観客配信だったから、時期がズレたから叶ったことだった。どこのグループもそうだと思うが、節目ごとに文脈を持つ楽曲がある。SexyZoneの場合はデビュー曲と、3人期を経て5人組に戻ったカラフルEyes、その時アンセムになりつつあったRUNがそうだった。他にも皆笑顔になるトンキチ曲といえばバィバィDuバィ〜See you again〜だし、包み込むようなぎゅっとも会場は一体化しやすい。私はデビュー曲さえも全体を知らず、捻くれ精神で「195ヶ国って何を基準にしてるの?国連加盟国?」と思っていたのでそこだけ覚えているくらいだった。これらは皮肉ではなく、どうなんだろうなぁという単純な疑問からなのだが、そのあたりからも私の性質を想像していただけると思う。面倒くさい奴なのだ私は。

 松島聡くんが歌ったのは、公演ごとにファン投票で変わる一曲と、最新曲NOT FOUND、一つ前にリリースしたRUNの3曲だった。休養後初めてステージで歌ったのはバィバィDuバィ〜See you again〜で、笑顔の5人が、ドバイの情景を歌う様は何言ってるのかわかんないけど5人が幸せだったら良いなあと思える光景だった。ポリスはスーパーカーなので。また、佐藤勝利くんの誕生日もこの日程に含まれていた。4人で(主に松島聡くんが)選んだという誕生日プレゼントのモッズコートを着てケーキのろうそくを吹き消し、そのままNOT FOUNDを踊った様はあまりにもかわいかった。こんなかわいい生き物が存在しているのかと思った。中島健人くんにフードを直されていた。かわいすぎた。各公演終わりに会員限定でアフタートークショーとして20分くらいの時間を設けてくれた。ソファへ一列になって座った彼らが、初日は少しお固くグッズの紹介をして、慣れてきたのかアカペラで歌ってみたり、C&Rごっこをしたり、ちょっとした裏話をしてくれたり、最終日にはハロウィンだったこともあり仮装をしていた。この空気感が好きで、円盤が発売されてからは、仕事で嫌なことがあったときはこの映像を何度も見た。ソロアングルのRUNと一緒に観れば、不思議と明日からも頑張れる気がした。ライブのラストに涙ながら『それでいいよ』と歌う彼らからは、人を肯定する強さをもらった気がした。私の周りだけかもしれないが昨今求められる多様性への理解は、強要なのだと感じる人もいて、他者を攻撃することで保っていた自我を逆に攻撃されたと勘違いしてますます過激なことを言ったり、そんな自分も変わるつもりはないしそれも受け入れられてしかるべきだと屁理屈を捏ねる人もいた。また、他者に変容することに疲れて、疲れる自分は前者と同じなのではないかと自分のことを嫌いになりそうになったり、変化のうねりに押しつぶされそうになりながら探していく答えに、やさしいひとつのヒントをくれたような歌声だった。
 季節が冬に向かっても時間があるとライブ円盤を再生して、エッセンシャルワーカーよろしく毎日の通勤で楽曲を聴いて過ごした。ジャニーズ文化を勉強しようと、他グループの円盤を買ったり曲を聴いたりした。学んでいく中で距離を取りたい文化もあったが、ジャニーズアイドルを応援していく上で知らなきゃいけないとも思った。どうして問題があると感じたのか、自身で言語化できるようにしていないといけないとも思った。暖冬の影響もあってか(おそらく違う)常にじっとりと興奮する心と共に恋人への熱も上がるかと思うこともあったのだが、根本的なところで噛み合わず、またそれを努力で埋めるのにお互い疲れたのだろう、春の入り口でさよならした。心の隅で鬱々としていた原因もなくなり精神的な重りがなくなった私は、唐突に実感する。美しくあろうとするのに理由はいらない、と。友達付き合いがドライな私に親は、人は一人では生きられないとよく言った。自身も、ひとりで生きるには向いていないと自覚があった。けれど無理だった。あえてこの言い方をするが、失敗した。けれど晴れやかな気持ちだった。綺麗になろうと思ったことは何度もある。誰かのためと思われるのが嫌で諦めたり、努力する姿勢を見られるのが嫌で諦めたりしていたが、そんなことは関係ないと強く思えるようになった。自分らしくいたい。でも自分らしさってなんだろう、まずは自分が満足する自分になりたいと思った。胸を張って生きて、彼らを応援したい。それから一年半になるが、ゆるゆると成功しつづけている。ケンティーananの日(七夕)には脱毛へ行き、ふうまくんananの日は徹底的に筋トレをしました。
 2020年の冬に戻る。FNS歌謡祭の出演前に、マリウス葉くんは体調が悪いため欠席するとのお知らせがあった。時期的に感染症を疑って、ああついにセクシーメンバーにもと回復を祈った。ところが色んな情報がパラパラと出始め、感染症ではなく学業を優先するためにしばらく休養するとの公式発表に至った。5人揃って4ヶ月経ってなかった。私はたまたま8月のはじめから追い始めたので、これまで幸せ溢れる5人を見てきた。笑顔が弾けて、これから再スタートだね、第二章だね、ちょうど発売した楽曲みたいだねなんて言って。前述の通り、私には病休の過去があるためどこか楽観視していたのも事実だった。人生そんなこともあるよね、主義主張がぶつかりすぎたり頑張りすぎたり背負い込みすぎたり反動が来たり、色々あるよねと。実際、失敗したり正解しないなんてよくあることだし。生身の人間だし。私は2020年の8月からずっと、生身の人間の応援の仕方を考えている。
 そしてジャニーズドキュメンタリー番組Ride On Timeの放送が始まる。RUN前からの密着、松島聡くんの復帰、そして放送期間中の12月にマリウス葉くんの休養も絡められた。番組中に語られるメンバーの言葉に、私はこれまでこんなに他人を想ったことがあっただろうかと思った。ある人は、4人が好きだから4人と(自分も含めて5人で)一緒に楽しみたいと言い、ある人は、君が幸せならそれでいいと言い、ある人は先を見据え、ある人は今を見つめて、ある人は、10年後20年後も自分たちが5人一緒にいられるように祈っててくれと言う。彼らは繊細で、想像以上にタフネスだった。
 年が明けてしばらくした頃、デビュー10周年を迎えるアルバムを出す。『SZ10TH(読み:エスズィーテンス)』はリード曲の2曲と既存シングル曲を抱き合わせたアルバムだった。1曲はメンバー5人が作詞したChange the world、もう1曲は全編英語歌詞のRight next to you(以下ライネク)だ。このライネクが私は大好きで、解禁されたラジオを聴いていた駐車場で、冗談じゃなく息を飲んだ。振動が体に伝わって、リズミカルに音が重なる。そこに合わさるメンバーの声。伸びていく歌声や硬質で無垢な歌声、力強く華やかな歌声、優しくて芯のある歌声。ユニゾンが綺麗だった。休養したマリウス葉くんの母国語はドイツ語だが、日常会話である日本語の他にも英語も習得していた。一番得意と思われるメンバーが休養に入っても惹きつけられるライネクに、胸が震えた。中島健人くんは勉強のためにマリウス葉くんとたまに英語で会話していたと聞く。得意分野が被っても爪を磨くことを止める理由はない。ライネクは2STEPだとかディープハウスだとかいう難しい言葉で音楽業界に注目された。そういったことは勉強不足でわからないのだが、その次に発売されたLET'S MUSICで音楽ジャンルを羅列する歌詞があり、音楽をやっていくってこういうことなのだなと、ファンは、というか私はそう受け取った。

 春にはこのアルバムを引っさげたアリーナライブツアー『SZ10TH』を開催すると発表された。まだ世に蔓延る感染症により、収容人数を半分以下にしての実施だった。世の中全体の知識不足により、従来のマスクに加えて、二重マスクやフェイスガードもあると望ましいという空気があった。もちろん声出しは禁止。ファンクラブ入って初めてのライブは当たりやすいと都市伝説を聞くが、感染状況と、自分の職業、家庭環境を鑑みて応募するのをやめた。後に定期検診した歯医者で奥歯が欠けていると知る。応募すら諦めたことが悔しくてたまらなかった。
 毎週変わっていく状況と突然発令される政府の宣言などによって、長期イベントを無事何事もなく完走できることが少なくなった。SZ10THも初日が延期となり、オーラス予定だった後の7月11日に振替となった。オーラス、人を入れてのライブをインターネットでも配信する事になった。私もチケットを買い、自宅のリビングで参加できた。ペンライトを握りしめて、きっと泣いてしまうからハンカチも用意して、やっぱりぐしょぐしょに泣いて、5人の十周年を見たかったなぁなんて無責任なことをどうしても思ってしまう。赤い薔薇が咲く景色を見てほしかったな、スモークが晴れてあらわれるたくさんの薔薇はきっときれいだった。ステージに立った4人が、ずっと5人だと教えてくれていたけれど、目に見えるのは4人で、いなくてもいるよって、でもいなくて、いるのはわかるけど、それはそうなんだけど、休養ってこういうことなのかと、初めてはっきり休む側ではない方に立った。仕事でもトラブルがあり1名が精神科に受診し、余波でギスギスし、しばらく色んなフォローに集中した。ライブが終わってもメンバーのゴールデン帯主演ドラマと別のメンバーの主演ドラマがあって、次のクールでゴールデン帯主演ドラマが始まって、終わって。ハマって2年目となる2021年秋。今思えばどうやって乗り切っていったんだったか。舞台への応募はライブと同じ理由で諦めた。春に初めた減量は停滞期を迎えていたし、まん延する感染症でどこへも出かけてない。スケジュール帳には記入するまでもない事ばかり書いてある。結成日に配信されたファンミーティング。ゆるやかな空気が好きだった。ぐだぐだも面白かった。けれど、ごく一部のファンからがっかりした声が出た。正直なところ、ファン自身の理想の高さと懐の狭さにびっくりした。自分の持っている器に入らない受け取りそびれた気持ちを無視して声高に理想を求める様は、これが10年目かと興味深かった。勿論、そうじゃない人は沢山いた。沢山の彼らを観たいのにメディア露出が少ないことの不満が小爆発した結果だろうと思った。その気持ちはにわかゆえ重みは違うものの共感した。過去や現在のメンバーの発言や行動から倫理観を推察して落ち込んだり、マネージメントも学んでないのに知った気になって重箱の隅をつつきそうになった。ただの素人が、これからのジャニーズ、だなんて大層な議論を同時期にジャニオタになった子と話していた。先述した、自分と彼らは違うことを失念しているのではないか、と。私にも同じことが言えた。自身の空気が停滞していた。
 冬の大型音楽番組。やっぱり彼らは最高だった。ぐだぐだ考えていた自分が本物の馬鹿に思えた。彼らが何も思ってないはずがないという基本的なことを尊重していなかったと反省した。ライブ映像の、優しい微笑みや信じられないくらい可愛い笑顔、ラストでステージに立つメンバーを目に焼き付けるような切ない目、体いっぱいでファンからの愛情に答えようとする姿、力強い挨拶、それらを私は受け取っていたはずなのに。好きだという気持ちをもらったことだけで充分だったのになぜ忘れてしまっていたんだろう。たくさんくれるから勘違いしていた。私はいつだって私なように、彼らもいつだって彼らだったのに。
 三ヶ日、私は忙しかった。仕事はお休みで、例年の恒例だった親戚集まりは感染症により縮小していたし、同じ理由で友人と会う予定も、家族での旅行の予定もなかった。とはいってもやることはあり、細々と動きながらテレビとラジオを追っていた。同じ時間帯にメンバーが出ており、何度目かのレコーダーを購入して良かったと思った瞬間だった。4人のラジオ、かわいいグルメリポートに、過酷なロケ。年末年始をまたぐジャニーズが一堂に会す音楽番組の前日に、フェスティバルと名のつく配信もあった。年が明けた瞬間にメンバー内で頭を下げ合う彼らが皆から大事にされますようにと願った。ロケでは、推しの負けず嫌いだけでは片付けられない頑固さと粘り強さと意志の強さを見た。餅と自認した推し。餅よりかわいいよと心臓を押さえた。フェスティバルは東京ドームで収録された。他グループとの掛け合いのような歌割りはさすがだったし、YouTubeユニットの先輩にちょっかいをかける推しは可愛かった。セクシーローズのために会場は静まり返り、お決まりのウィスパーボイスにフリフラが赤に染まったらしい。いいなぁ。いつか、彼らのことが好きな人たちだけでそこを埋めて、フリフラじゃなくて自分の気持ちで会場を赤にして、そんな様子を見せたいな、なんて一人では到底叶わないが、きっと何万人が思っただろうことを私も思った。
 次の週からメンバーの連続ドラマが始まった。毎週楽しみにしているうちに、別のメンバーの配信映画が封切りされ、また別のメンバーの連続ドラマが始まった。ジャニーズの伝統的な舞台、Endless SHOCKのライバル役も決まった。感染症が落ち着いたこともあり東京への遠征を決める。一般枠で2時間粘ってチケットを取り、GW初日の当日、それだけを目的に日帰り新幹線で向かった。双眼鏡も購入した。中止になるかもしれないと、こんな状況下じゃなければ考えないリスク管理もした。帝国劇場のドアに張り紙がないことを祈った。無事幕が上がると、生で観た彼はスポットライトの下にいた。隣に立つ主人公たる座長から精一杯学びとろう食らいついて離さない力強さを感じた。顔が小さくて、その小さな口から声が出ていた。本編を振り返る形で作られた構成ゆえ、彼の役が最後に救われたのが良かった。白い衣装がとても似合っていた。初夏にも関わらず夏が終わった気すらした。
 GWを慎ましく過ごし、旅行もバーベキューも花火もなくなって三度目の夏。初夏に、ジャニーズの別グループ二組のライブに行った。king&princeは初ドームライブでアリーナが当たり、数メートル先に5人のうち4人が来てくれて、滴る汗まで見えた。KAT-TUNはガイシの二階席だったが、それでもドームより近くて感動した。場を掌握していた。そして、ライブツアー『セクシーゾーン ライブツアー2022 ザ・アリーナ』の当落があった。初めてこの季節に開催されるというツアー。落選した。初めて生でグループでいるところを観れるだろうと根拠なく思っていたから、落ちても実感が持てずしばらく過ごした。きっと復活当選するだろうと思っていた。発売されたアルバム『ザ・ハイライト』はとても良かった。この曲が一番好きだと思っても次の曲で同じことを思った。一番好きな曲が何曲もあった。リード曲2曲は歌番組で披露された。感染症が再びまん延し、以前とは比べ物にならない感染者数となったこの時期、メンバーにも魔の手が迫り何度か3人での披露もあった。SexyZoneというグループは、コンビあるいはトリオになったときの特色も強い。明るく太陽のような人の療養中はシックでダークな雰囲気のトリオだったし、しっかり者の兄のような人の療養中は攻撃は最大の防御なりを体現した圧があるトリオとなった。

 パフォーマンスを見て曲を聴くうちに、他の曲のパフォーマンスも知りたい思いが強くなった。セトリの一発目や、アルバム外で入る曲を予想した。でも当然のことながらチケットは降って湧かない。どうにかならないだろうか。当然ながら、定価以外でのやりとりや本人のチケットじゃない物を使用したり転売したり、代表者氏名や同行者氏名に嘘をつくことは違法である。(以前は同行者名義は必要なかったが、感染症対策により追加されたらしい。)私は社会人になってからいくつかのジャンルでオフ会に参加していたので、ネット上の人に会うことにそれほど抵抗はなかった。Twitterで縁があり同行者として連れていってもらえることになった。舞い上がる気持ちで、けれどどうか無事にできますようにと思わない日はなかった。彼らが無事でも私も健康でないと一緒に盛り上がれないと思い、熱中症グッズも購入して、体力をつけようといつもより筋トレをしたし、食事にも気を使った。パンフレットが欲しかったので、願掛けの意味でペンライトやうちわやバッグは買っていた。今回のペンライト超かわいいと思ったがネットでは不評で泣いた。
 今回のアルバムとライブのコンセプトはシティポップ。より範囲を狭めると夏の80'sだ。音楽に明るくない私でも、その時々によく聴いていた曲がある。家族で遠出するたびに車にかかっていたのは80'sの洋楽ヒット集で、10年近く前にハマっていた合唱の海外ドラマではベッドをトランポリンするJUMPが好きで、数年前に映画館に足繁く通っていた時はawesome mixが通勤ソングだった。私の時が止まっているプレイリストでは、ここ数年の曲より馴染みがある曲たちがテーマということになる。形から入るところがあるので、当日はワイドボトムのセットアップを着ることにした。職業上ネイルは禁止されているので2日間だけのハンドネイルは当時らしい柄を貼った。ペディキュアは5色にした。双眼鏡が覗きやすいようにまつげも上げた。一週間〜数日前に職場で、面談をいくつかしなければならない程度の、軽いハラスメントにあった。大抵、職場を離れて家に着けば仕事のことは忘れるのだが、ハラスメントというものはふとした瞬間意図せず思い出して感情を引きずられるもので、今回もそんな瞬間があった。素直にライブという日常の特異的を楽しみにさせてくれたらいいのにとは、なぜだか思わなかった。どちらも私の生活なので、どちらも乗りこなすしかなく、この時点でハラスメント当人への興味や好意を無くすことにした。今年の目標は個人主義を学ぶことだったので、糧になったと思うことにした。
 冒頭に戻る。当日、願掛けに買ったTOMFORDのアフリカンバイオレットを目元に宿し、待ちあわせ場所で落ち合った。もう規制入場の時間が近づいていたから、そのまま発券所へ向かう。会場に入ると、BGMは80'sの洋楽だった。家族とのドライブが、あるいはいつかの映画帰りの夜道が脳裏を過ぎた。座席はアリーナ(かな?なんていうんだろう)で、初めてですよね花道近くにどうぞと言ってくれたが、私はもうこの空気を吸えただけで満足していたので遠慮した。優しい。
 双眼鏡、うちわとペンライトとOS-1をツアーバッグに忍ばせて待つ、新潟朱鷺メッセ、夜公演開始前。ライブというのは始まるまでは日常と非日常の境を揺蕩う。私は、暗転するまでは世界には入りきれない。セットという断片からテーマと合わせてライブを想像する。入場してからそれなりに時間があったはずなのに、あまり記憶がない。トイレに行ったり喋っていたりしていたが、ライブへの高揚で心ここにあらずみたいな反応だったかもしれない、申し訳ない。酔ったとき、時計を見て目を離してまたすぐに時計をみたつもりで5分経っていたときのように、あと10分ですねと話してから胸元でうちわを握り直したらすぐ始まった。クラップゲームに慌てて脇に挟んで、鈍臭くわたわたしていたら、曲が始まった。SUMMER FERVERの、君の名のカクテルで終わらない夢をみせて、で幕を開けたライブ! はぁ、今思い出しても最高だな。上下するどでかいネオン文字に乗って登場したSexyZoneは、そのまま2曲目にうつる。Desideria。勘弁してくれ。私は、このライブで聴きたい曲が2曲あったが、そのひとつめのDesideriaがさっそく聴けてしまった。どうしよう、もうはるばる新潟まで来たかいがあるどころかお釣りが来る。この曲の掛け合いのようなラストスパートがとくに好きで、生歌でも変わらず伸びて跳ねる声に一瞬意識を失った。いつどでかいネオン文字から降りたのか、ステージへ歩きながら歌われるHeartに、照明を浴びるメンバーの美しさに、ほんとうに夢みたいと思ったのは覚えている。しょっぱなからそんな感じだったし、私の記憶力は当てにならない。もう怒涛のエンタメだった。私がハマったPAGESではストーリー性が素晴らしかったけど、今回のライブはエンタメ性とストーリー性が両立していた。今回バックにつくJrもおらず、舞台に立っていたのはSexyZoneの4人だけだった。だからか、衣装チェンジも見せていただき、カメラを鏡代わりにして艶やかにネックレスをつける松島さんにギィ、と声が喉元で潰れた。声出し禁止なので。もう色んなことが起きて、しっちゃかめっちゃかのはずなのに成立していて、色んな衣装のSexyZoneが観れて、照明越しの影さえ美しくて、エッチな曲では双眼鏡を構えたし、ある曲ではあまりの可愛さに涙を流してしまった。ウィッグを被って、ワンピースに着替えたSexyZoneもといセクシーガールズは……可憐だった。80年代の女性アイドルに扮した彼らは、歌声や仕草まで仕上げていた。ジャニーズ特有の華奢さと80年代のアイドル特有の体の薄さがマッチしていた。女装としてわかりやすいアイテム、バストの着用もなく、メイクもそのままで髪と服を変えただけでフェミニンに寄せた彼らの演技力はすごかった。

 観客はいろんな世界観へ引きずり出される。そのもうひとつが、もし全てのアイドルが消えたらというIFだった。そして披露されるForever goldに、たまらない気持ちになった。ライブを楽しむためには没入感が必要で、それを得るには、作り手側が予想する感情グラフを観客とうまくリンクさせることが大事だと思っている。かといってわかりやすい誘い水は萎えるし、うまく誘導してうまく乗せてほしい。映画でいうと、フレームが見えないようにしてほしい。望み過ぎのわがままだとはわかっているし、思春期ならともかくもうそんな思いはできないのかもと半ば悲しくも受け入れていたので今回没入するライブが観れて本当に嬉しかった。こんな素敵なライブを作ってくれてありがとう。もちろん好きなグループだからというのもある。MCに入っても、キラキラと光る彼らにフレームは見えなかった。最後歌われたDreamは、もう1曲の聴きたかった曲だった。似たメロディとフレーズを繰り返す引き算のバラード。慣れない世界で君を見つけてそれだけでなにもいらないでしょう、という歌詞がある。もしかしたらアイドルとファンの曲でもあるんだと思うと、私も、彼らにたくさんいる君の一人になれたのだろうかと、何万もいる君のうちの一人になれたのだろうかと、かすかな繫がりが見えた気がした。それに受ける、それじゃさよなら僕らの他愛ない日々よ、はライブが終わることを、一時の夢だったことをちゃんと教えてくれる。続いて何度も繰り返されたフレーズ、数え切れない合言葉も君と僕にしかない野暮なやり取りも夢みたいに綺麗に消えて、で終わる。一曲目の、終わらない夢を見せて、からの締め。明確に終わりをつけてくれるのも、ローテンションで終わるのも区切りができていい。ライブという2時間の夢が終わると、アンコールが始まった。Tシャツ姿のメンバーがスタンドトロッコに乗って超絶かわいい曲Honey Honeyを歌う。この曲のかわいらしさったらなくて、これはイタリア男をイメージした曲なのでいくらかわいいといえどセクシーガールズ向きではなくて、そう、SexyZoneは男性のまま、はちみつみたいに甘ったるいかわいい曲も歌える。その曲を歌いながらファンサするメンバーはものすごくかわいいんだけどその時の私は既に大量のカロリーを圧縮して目から精神に摂取したあとなのでハワワ……とさえ言えず無になっていた。あまりにも幸福すぎたのだ。ライブがある日も仕事で嫌なことがあった日も私にはやっぱり日常で、地続きの日々で、でも、確かにあったかたちのないものを心に抱いて過ごす日々はその前よりも少し楽しい。
 ご厚意でいただいた銀テープを鞄に、雨に降られてホテルへ戻り、爆食して、寝付けなくて、なのに早起きしてしまって、翌朝はおにぎり専門店で朝食を摂った。これがとてもおいしくて、また朱鷺メッセでライブがあれば新潟では3食おにぎりも良いと思っている。お土産も沢山買った。良い旅行だった。
 それから2週間経った8月14日、横浜アリーナでライブをしているSexyZoneはある発表をした。冬に初ドームツアーが開催されることになった。実際にライブに参加してみてドームはあると確信していたものの、いざとなると勝手に涙が溢れて嗚咽まで漏れた。翌朝は早起きしてワイドショーを張ってまた泣いて、コンビニで朝刊を買って、何度も噛み締めては何度も浮足立った。他人のことでこんなに喜べることが私にもあったんだと思った。ずっと考えている生身の人間の応援。あるメンバーがブログで綴ったことが私の支えになっている。僕らの生き様を見ててください、と。休養中の彼も含めて、どうか彼らが、自分たちで考えて決めた道に進めると良いと心から思う。自分たちらしく、損なわず、誇り高く、やりたいことをやれるように。